東日本大震災10年の軌跡
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DATAあまりの大きな揺れに、「宮城県沖地震の再来か」、「長町-利府断層がついに動いたか」、仙台市民の多くがそう思ったに違いない。宮城県では、6月12日を「みやぎ県民防災の日」として定めている。1978年に起きた宮城県沖地震の教訓を忘れないためだ。仙台商工会議所でも、年に1度、会館内に入る全テナントも含めた防災訓練を欠かさず行い、避難経路や各自の役割を確認していた。しかし、東日本大震災は、緊急時の行動がいかに難しいものか、改めて私たちに教えてくれた。発災後、余震が数分おきにやってきて、会館内外の安全性が確認できず、所内にとどまるべきか屋外に避難すべきかの判断が難しい。数十分後、落ち着いてきた頃合いでようやく外へ退避。外出等でその場にいない者も多い中で職員の安否確認に入る。しかし、ほとんどの職員が緊急連絡網をパソコン内に保存していたため、停電でデータが取り出せない。仕方なく数名が印刷していたものを共有しながら連絡を試みる。ところが連絡網に記載されている携帯電話は、災害時のため通信が不安定でなかなかつながらない。個人間で交換していた携帯メールを活用して何とか連絡をつけていく。最終的に全員の安否が確認できたのは、その日の深夜であった。このように緊急時はマニュアル通りにいかないことが多い。そのようなとき、大切なのはその場の冷静な判断である。2011年4月7日深夜、最大級の余震が起きた際、会館管理の担当者が不在の中、残業中の職員数人が自らの考えで慌てず即座に会館内を見回り、状況を確認してスムーズに報告を行ったというエピソードがある。指示がない中でも個々の判断が光ったシーンだ。いかに素晴らしいマニュアルがあっても、実際に動くのは人である。いかなる時も冷静に行動できるよう、日ごろからきちんと緊急対応の意識を共有しておくことこそが最も重要なことなのである。疾風に勁草を知るがごとく、全世界の人々が1000年に一度と言われた大地震被害から立ち上がる東北の姿を目にしてきたからこそ、10年が経った今も、被災地には多くの支援と励ましの声が寄せられている。それらは被災地にとって何よりの心の支えとなっており、それ故、東北が復興に力強く邁進する姿を引き続き見せていくことは、昨今多発する自然災害の被災地に向けた希望のメッセージともなるに違いない。そうしたことから、本書は、10年の取り組みを記録として残すことはもちろん、各地災害被災地において仙台商工会議所が得た経験を役立ててほしいという思いで刊行した。仙台商工会議所も、東日本大震災の発災直後の混乱期、神戸商工会議所がまとめた阪神・淡路大震災の記録を初期行動の重要な道しるべとした。各地の減災対策が進む事こそ最も望まれるところではあるが、もし、今後、大きな被害に見舞われる地域があったときには、本書を、復旧・復興へ歩み出すための一助にしていただきたいというのが私どもの思いだ。本来であれば、これまでお支えいただいた皆さまお一人ずつに感謝の意を伝えるべきところではあるが、本書を通じて皆さまの支援が復興の大きな糧となっていることをお示しすることで、御礼に代えさせていただければ幸いである。あとがき仙台商工会議所 東日本大震災 10年の軌跡148

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