東日本大震災10年の軌跡
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緊急相談窓口の設置と全国からの応援職員による会員巡回発災から3日が過ぎた2011年3月14日、被害の全容がつかめない中、仙台商工会議所では会館1階の事務室内に「緊急経営相談窓口」を設置した。また、3月18日には、仙台市、仙台市産業振興事業団、日本政策金融公庫と合同で、仙台駅前アエル5階の仙台市情報・産業プラザに「中小企業支援合同相談窓口」を開設した。さらに3月28日には、特に被害の大きかった「転ばぬ先の杖」が復旧を早める東日本大震災は東北の広範囲に被害をもたらしたものの、津波を免れた地域で見ると、街の機能自体は保たれたところも少なくなかった。特に仙台の中心部においては、後日、全壊・半壊の認定を受けた建物もあったが、大きく倒壊したビルは見受けられず、街がその働きを果たすのに十分なだけの土台は保たれていた。後に、「仙台藩祖である伊達政宗公が、こうしたことを予見して固い岩盤の上に街を開いていたのだ」とささやかれもしたが、実のところ、それを可能にしたのは、行政によるしっかりとした事前の対策であった。宮城県は、1978年に宮城県沖地震を経験している。「近い将来、確実に同規模の大地震が起きる」と言われ続けていた中で、震災以前から、仙台市や宮城県では、市民・県民に対する防災意識の高揚、建物の耐震補強などを呼び掛けてきた。仙台商工会議所でも、それに伴い、震災前に耐震補強工事を行っていた。そうした備えが、その後の復旧・復興への取り組みに大きく生きたのである。近年、「災害に強い街づくり」が全国的に叫ばれている。頻発する自然災害の前では、都市がまったく無傷の状態を保つことは難しいかもしれない。しかし、前述の通り、地域に根差す商店街は街のにぎわいを取り戻す重要な核となる。普段から防災・減災を意識した街づくりを進めること、災害が起きたときにできるだけ早く街の機能を正常に戻す準備をしておくことが、災害時の社会的混乱を早期に収束させる最も有効な手段の一つである。地域の店や会社が、可能な限り正常に近い形で業務を再開することは、暮らしの安心感につながる。行政のみに頼るのではなく、個々の企業も、普段から事業継続計画(BCP)を策定するなど、危機意識を持った取り組みを進めることが重要なのである。第1部地域経済の再生支援2街の機能が保たれたことによって中心部商店街には発災後間もない時期から人が集まった。左はマルシェの屋台に大勢の人が並ぶサンモール一番町商店街(2011年3月17日)。右は多くの買い物客が行き交う、おおまち商店街(2011年3月23日)。仙台商工会議所 東日本大震災 10年の軌跡26

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